朝鮮はいいね

なんでも勝手に作れるから。
そもそもイスンシンなんて誰も知らなかったんだからね。
第一だよ東郷平八郎がイスンシンを褒めたなんて資料はどこにもないんだよね。
「これが最初のそんなことは言ってない」だろうと思うけどね。
講和条約が発効して撤退をはじまた倭軍を後から追いかけて突然攻撃した卑怯者を褒めるはずもなく。
それだけで気付け馬鹿どもめが。
誰も知らなかったイスンシンの顔の絵が残っているはずもなく。

因みにキリストの復元されたと言うか科学技術を駆使して作られた顔がこれです。
当時のユダヤ人男性の顔がベースとなって作られたものだそうです。
画像

顔も誕生日もわからないのにもう幾つ寝るとクリスマス、ですね。
さて今日は冬至で1年でもっとも昼の短い日なんですな、年によって冬至は変わるけど23日になることはありません。


明日はその23日昔で言うところの天長節ですね。
つまり、クリスマスは本当は明日なんですね。

いいですか、今上陛下はキリストなんですよ。
本来は今上陛下の誕生を祝うのがクリスマスなんですね。

ベラ・コチェフスカって知っていますか。

「世界一の超能力者」という肩書を持つベラ・コチェフスカ
http://teruterulog.jugem.jp/?eid=306


【韓国】右手に日本刀の李舜臣将軍の銅像、日本海軍発祥の地記念碑とよく似ている 影響を受けた可能性 [12/22]

 補修作業を行うため、ソウル・光化門広場から一時的に撤去されていた李舜臣(イ・スンシン)将軍の
銅像が、40日ぶりにその力強い姿を披露する。先月14 日から京畿道利川市で欠陥や亀裂などの
修理、内部の補強、細工、鍍金など大掛かりな補修作業が行われていた銅像は、22日夜に光化門
広場に運ばれ、設置作業を終えた23日朝から、再び市民の前に姿を現す予定だ。

 設置作業のため、23日深夜1時から午前7時まで、世宗文化会館前の光化門から市庁方面への
3車線が通行止めとなる。銅像の設置を終えた、同日昼12時からは歓迎式典が開催され、勝戦鼓を
はじめ、歓迎詩の朗読、海軍儀仗隊と軍楽隊の演奏、全羅道に伝わる民俗舞踊「カンガンスルレ」
(重要無形文化財第8号)の公演などが予定されている。

 1968年4月に光化門広場に設置された李舜臣将軍の銅像は、制作から42年が過ぎて初めて
補修作業が施され、再び元の位置に戻される。しかし同時にさまざまな問題も浮上し、新たに制作
すべきとの声も上がっている。銅像が建立された当時から指摘されてきた多くの問題が、今回の補修を
きっかけに再び表面化した格好だ。ソウル市議会のムン・サンモ議員は、「徹底した考証を経て、本来の
アイデンティティーを取り戻した忠武公・李舜臣将軍の銅像を制作すべきだ」という内容の請願書を
提出した。

 ソウル市は銅像を改めて制作する問題について、各界の専門家で構成された諮問委員会を立ち
上げ、本格的に議論する計画だ。再制作することが決まった場合、42年にわたり光化門を守ってきた
従来の姿は歴史の中に消え、新たな李舜臣将軍の銅像が登場することになる。

■李舜臣将軍の銅像を取り巻く五つの論争

 「文化財を本来の位置に戻す運動」の事務総長を務めるヘムン僧侶は、以前から李舜臣将軍の
銅像をめぐり五つの問題点があると訴えてきた。まずは「銅像が手にしている刀が日本刀」、2番目に
「右利きの李舜臣将軍が左手でなく右手に刀を持ち、降伏の意思表示をしている」、3番目は「甲冑が
中国式」、 4番目は「顔が標準画像に基づくものではなく彫刻家のもの」、5番目に「銅像の前にある
太鼓は立ててあるべきなのに、実際は横に倒されている」という点だ。

 翰林大学校アジア文化研究所のキム・ヨンチョル研究員は、銅像と亀甲船、座台などを含む造形物
全体の形態とその構成が、日本の宮崎県にある日本海軍発祥の地記念碑とよく似ていると指摘する。
この記念碑は第2次大戦当時に一時撤去されたが、1962年に復元された。李舜臣将軍の銅像が
制作されたのが 68年であることから、この記念碑から一部影響を受けた可能性もあるというのだ。
http://file.chosunonline.com//article/2010/12/22/575369238928207717.jpg
写真提供=ソウル市、珍島郡
李舜臣将軍の銅像、再制作をめぐり攻防(上)
http://www.chosunonline.com/news/20101222000065
つづく


2 : [―{}@{}@{}-] Korean Monkeys (韓国猿)@動物園φ ★:2010/12/22(水) 20:20:49 ID:???

 また、「李舜臣将軍の銅像が忠武路でなく、光化門(世宗路)にあるのはおかしい」という指摘もある。
これを受けてソウル市は、95年にいったん移転計画を考案したが、反対する声が強く、計画は中止となった。

 李舜臣将軍の銅像を取り巻く問題は、70年代から数多くの議論を呼んだ。「歴史考証が不十分」
というのがその最も大きな理由だ。79年5月には政府(文化広報部)による審議を経て、新たな銅像の
制作方針が取りまとめられた。しかし、美術界の反発や朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領暗殺事件
などが重なった影響で、この計画はうやむやになってしまった。現在、学会や専門家の間では、刀が
日本刀という点と、中国式甲冑、表情が標準画像に基づくものではないという指摘には幅広い共感が
形成されている。

■歴史的記念物はそれ自体に意味がある

 これに対して銅像の制作を手掛けた故・金世中(キム・セジュン)記念事業会は、「銅像の彫刻的な
特徴は、記念碑としての象徴的な意味合いにある。銅像がどれだけ事実に立脚しているかよりも、
その人物が持つ歴史的な意味合いを強調する表現の方が重要だ」と述べた。これまで美術界では、
「銅像そのものの芸術的な価値だけでも、十分に保存するに値する」という主張が優勢だった。

 記念事業会は、「銅像は李舜臣将軍が右利きだということを前提に制作された。李将軍が右手に
刀を持っているのは、李将軍の役割と意志が、その刀が象徴する実践的な力と祖国守護にあることを
意味している」と説明した。考証が不十分という指摘については、「実際は多くの考証資料に基づいて
制作された。ただし、安定感のある輪郭と姿態を持たせるために、刀と甲冑の長さは少しずつ調整
された」と説明した。

 表情については、「将軍の実際の姿を描写した肖像画はない。53年に月田・張遇聖(チャン・ウソン)
画伯が描いた忠武公の肖像画は、68年に光化門の銅像が制作されてから5年後の73年に、標準
画像として指定されたものだ」と説明した。

 彫刻家のチョン・ガンオク氏(45)は、「光化門に設置された李舜臣将軍の銅像は、42年の時を経て、
われわれの記憶の中に歴史としてすでに定着している。そのため、本質から外れた問題を理由に新しく
制作すれば、さらなる問題を誘発する可能性がある」「銅像を撤去するよりも、新たな価値を付与
する方が望ましい」と述べた。

李衛栽(イ・ウィジェ)記者
李舜臣将軍の銅像、再制作をめぐり攻防(下)
http://www.chosunonline.com/news/20101222000066

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